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中国~ローマ
今から2000年前、中国から最も西にある国は、「大秦国」と呼ばれていた。

 この国が、歴史的実在としてはローマ帝国であることは疑いない。それは、『後漢書』桓帝延喜9年(紀元166年)に、大秦王安敦の使者と称する者が海路到来したと記されており、その安敦(アントン)王の年代とローマ帝国五賢帝の最後の人、マルクス・アウレーリウス・アントニーヌスの治世(紀元161年~180年)とが、ちょうど重なることからもわかる。

 この国は、「日の沈むところに最も近い大国」とされ、地域的には西海(西洋)にあるから「海西国」であり、他方ではその中の最大の都市として、ローマ帝国の経済的中心であるアレクサンドリアが知られていたらしく、そのため「犂軒(リケン)」という別名も持っている(もちろん異説もあるが、大筋はこんなところだ)。

 だが現実との対比はさておき、問題なのは、「大秦」という国名である。この二字を分解すると、「大きな」「秦」。「秦」とは言うまでもなく始皇帝の秦帝国で、これが「Sina」や「Tina」として西方に知られ、やがては「China」の語源となった。外国人は中国人を「秦人」と呼び、唐代の北インドでは、中国のことを「摩訶震旦(マハー・チナ)」と称していた(これが鏡のごとく逆に誤り伝えられて西方の国を指すことになったのだとも考えられるが、いまはそれとは別の議論をする)。

 つまりは、「Great China」。中華意識の権化の中国人が、西戎の中の西戎であるはずの西の果ての国を、グレート・チャイナ、中国よりも大きな中国と、なぜ呼ぶのだろう。

 これには中国人自身も苦しい説明をしていて、大秦国の住人は「背丈が大きく落ち着きがあり、自ら『中国人と同じルーツだ』と言っており、それで『大秦』と呼ぶのだ」と書いて、とりあえずの平仄をつけている。



そんな昔の
事を
みんな
よくわからうね~
なんでだろね
わからんけど
すごいですよ
人間の
力って
スゴイ


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